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退職者に対する損害賠償請求は難しい
近年、職場において責任感の欠如が問題となるケースが増えています。業務中に重大なミスや不誠実な対応をしながらも、何ら責任を取らずに退職してしまう従業員が目立つようになっています。企業側としては被った損害を放置できず、退職者本人や、契約がある場合は身元保証人に対して損害賠償請求を検討することになります。
もちろん、債権回収の原則としては「できる限り100%の回収を目指す」というのが基本です。未回収債権を安易に諦めれば、組織の財務基盤を揺るがすことになりかねません。しかし、この考え方をそのまま退職者に対する損害賠償請求に適用すると、現実的に多くの問題に直面します。
退職者の場合、在職中の従業員とは違い、日常的な接点がなくなり、連絡や支払い管理も困難です。さらに、会社への忠誠心や将来的な関係維持の動機づけがなくなるため、交渉は硬直化しやすくなります。
そのため、退職者への損害賠償請求は、法的権利の存在だけではなく、「現実的にどこまで追えるのか」という視点が不可欠です。そこで本稿では、この問題について、具体例や法的要素、資力の問題、そして妥協点の見極め方まで、段階的に解説していきます。
退職者への損害賠償請求の具体例
退職者への損害賠償請求が成立し得る場面は、民法上の不法行為責任や債務不履行責任が認められるケースです。典型的な例として、まず挙げられるのは取引先との関係悪化による損害です。たとえば、担当者が取引先に対して失礼な態度をとり、長年の取引が打ち切られてしまった場合、失注による売上損失は相当額に上ることがあります。
また、情報漏洩も深刻です。業務中に送信先を誤ってメールやFAXを送ってしまい、顧客情報や機密資料が外部に流出した場合、その後の信用失墜やクレーム対応のコストは膨大です。このような過失は退職後も責任追及の対象となり得ます。
さらに、業務中の交通事故も典型例です。営業中に社用車を運転して事故を起こし、第三者に損害を与えた場合、会社が賠償責任を負った後、加害従業員に求償することがあります。
従業員間の暴力行為も忘れてはなりません。職場での暴力によって被害者が長期休業を余儀なくされ、その間の人件費や業務損失が生じる場合、加害者に賠償を求めることは十分考えられます。
これらはすべて「辞めたから関係ない」という話ではなく、退職後も法的責任が残る行為です。
過失相殺の可能性
損害賠償請求では、加害者の過失が明らかであっても、会社側にも落ち度があれば「過失相殺」が行われ、請求額が減額されることがあります。例えば、会社が従業員に業務内容を十分に説明していなかった場合や、必要な安全配慮措置を怠っていた場合、従業員のミスの一因が会社側にあると判断される可能性があります。
また、会社は従業員を使用して利益を得る立場にあるため、その業務遂行中に起こった事故やトラブルについて、一定のリスクを負担すべきだという考え方があります。このため、従業員に全額賠償を求めることは、法律上も社会的感覚からも難しい場合があります。
さらに、人は誰しもミスをするものであり、ミスをゼロにすることは不可能です。企業経営の観点からも、ミスが発生した場合の損害を最小限に抑える体制を整えておくことが求められます。具体的には、内部統制の強化や業務マニュアルの整備、二重チェックの仕組みの導入などが挙げられます。加えて、業務災害や賠償責任に備えた保険加入も有効な手段です。
したがって、退職者への損害賠償請求を検討する際には、過失割合の見込みや、会社側の防止策の有無を冷静に評価することが重要です。全額請求を前提に動くと、現実とのギャップで訴訟リスクや交渉の行き詰まりを招きやすくなります。
退職者の資力の問題
法的に損害賠償請求権が認められたとしても、相手に支払能力がなければ実際の回収はできません。退職者が再就職せず無職である場合や、収入が非常に少ない場合、裁判で勝訴判決を得ても「絵に描いた餅」になってしまうことがあります。
さらに、退職者の居所や勤務先が不明であれば、差押えなどの強制執行すら困難になります。判決を得ても、実際の資産や給与が把握できなければ回収は事実上不可能です。
現実的な対応としては、判決を得るよりも、和解で少しずつでも支払わせる方が有効な場合があります。和解により、退職者が自主的に支払いを続ける環境を作れば、全額は無理でも一定の回収は期待できます。ただし、和解では総額が減額され、さらに長期の分割払いになることが多く、企業側にとっては管理や督促の手間が増えます。
長期分割払いの管理は軽視できません。入金遅延が発生すれば、そのたびに連絡や再交渉が必要になり、担当部署の負担が増大します。そのため、資力が限られる相手からの回収は、効率とコストのバランスを見極めた上で戦略を立てる必要があります。
落としどころを早めにみつけて誘導する
退職者への損害賠償請求では、「どこで妥協するか」という線引きを早めに決めることが肝心です。相手の資力を踏まえ、現実的に回収可能な金額を見極める必要があります。
特に相手に資力がない場合、法的には賠償請求権があっても、全額回収を目指すのは非現実的です。そのため、損害を完全に埋め合わせることよりも、「落とし前をつけさせる」という意味合いで、相手が支払える範囲での精一杯の金額で合意することも選択肢となります。
全額回収にこだわりすぎると、訴訟費用や回収業務の負担が膨らみ、最終的には企業側の損失が拡大することも珍しくありません。逆に、早期に落としどころを定めれば、弁護士としても交渉のシナリオを描きやすくなり、相手を合意に誘導することが可能になります。
交渉では、相手が納得して支払える条件を提示しつつ、企業側の損害感情をある程度満たす形に落とし込むことが重要です。これにより、長期化によるコスト増や感情的対立を回避し、実務的な解決を図ることができます。
まとめ
退職者への損害賠償請求は、法的には可能な場面が多い一方で、実務的には多くのハードルがあります。過失相殺による減額、資力不足による未回収リスク、長期化によるコスト増などを踏まえ、早い段階で戦略的な線引きを行うことが重要です。
請求額の全額回収を理想としながらも、現実的には「どこまで追うか」を見極める柔軟さが求められます。落としどころを早期に設定し、そこに向けて交渉を誘導することで、感情的な対立を避けつつ、企業にとって最適な解決が可能になります。
最終的には、損害の再発防止策を講じることが、同様の問題を減らす最良の方法です。内部統制の強化や保険の活用を通じ、退職者への請求が必要になる場面をそもそも減らすことが、長期的な企業防衛につながります。
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